野宮有『殺し屋の営業術』(講談社、2025 年 8 月)。第 71 回江戸川乱歩賞で「ぶっちぎりの 1 位」と評され、2026 年本屋大賞でも第 6 位に食い込んだ話題作だ。発売 1 か月で 4 刷、ダ・ヴィンチ「プラチナ本」、ブランチ BOOK 大賞 2025 と、各所で太鼓判が並ぶ。タイトルだけ見れば物騒なミステリーだが、読み終えた率直な感想は「これ、装丁を変えて棚に並べたらビジネス書として普通に売れる」というもの。マーケティングの法則を駆使して、殺し屋を顧客に変えていく — その骨格は、現場の営業職が今すぐ盗めるノウハウの塊だった。
目次
あらすじ — 凄腕営業マン vs. 殺し屋
営業成績トップを走る主人公が、たまたま殺人現場を目撃してしまう。襲いかかる殺し屋。普通なら逃げるか命乞いだが、彼は「営業トーク」を始める。結果、殺されるどころか殺人請負会社にスカウトされ、2 週間で 2 億円のノルマを背負わされる…というジェットコースター・ミステリー。荒唐無稽な設定なのに、交渉の一手一手は驚くほどリアルで実用的。だから読み手は「自分ならどう切り返すか」と前のめりになる。
ビジネス書として成り立つ 3 つのポイント
① 顧客の「本音」を引き出す傾聴と質問設計
主人公は、襲ってきた殺し屋すら「顧客」として扱う。脅し返すのでも論破するのでもなく、相手のペインを質問で引き出し、提案に転化していく。BtoB 営業の SPIN ヒアリングを、文字通り命がけでやっているようなものだ。「誰に、何を、なぜ売るのか」を、相手の言葉で言わせる — 教科書に載っている技術が、極限のスリルとともに腹落ちする。
② 値引きではなく「値付け」で売る
2 週間で 2 億円。低単価の積み上げでは届かない数字だ。主人公は安さで勝負しない。顧客が「これだけ払う理由」を作り、高単価でも納得させる。多くお金をもらうために必要なのは交渉のうまさではなく、価値の設計である — この一点を、本書は物語の起伏でしっかり体感させてくれる。フリーランスや個人事業主、値付けに迷う中小企業の経営者にこそ刺さる章だ。
③ フレームワーク思考の実戦投入
特筆すべきは、主人公が「型」を持っていることだ。場当たりではなく、課題発見 → 仮説 → 提案 → クロージングという定石を、命のかかった現場でも崩さない。フレームワークは平時の道具ではなく、混乱した現場で判断を支える背骨なのだと痛感する。研修で習った PDCA や 4P が、いつの間にかただの文字列になっている人ほど、読むと血が通う。理屈と実戦の橋渡しを、これほど鮮やかに見せてくれる本はそう多くない。
響いたのは「営業の本質は、説得ではなく設計」
筆者がいちばん響いたのは、主人公が「相手の選択肢を作り変える」場面だ。説得しようとしていないのに、気づけば相手が自分から契約に向かって歩き出している。営業を「押す仕事」だと思っているうちは、こうはならない。営業とは、顧客の意思決定の地形そのものをデザインする仕事だ — その答えが、エンタメ小説の文体で物語のなかに編み込まれている。ビジネス書 10 冊ぶんの示唆が、1 冊の小説のスピード感で流れ込んでくる感覚がある。
こんな人におすすめ
- 営業ノウハウ本に飽きた、現場の BtoB セールス
- 高単価で売る方法を探している個人事業主・フリーランス
- 「ビジネス書は説教くさい」と感じる読書家
ノウハウ本の棚を一旦離れて、小説の棚から 1 冊取ってみてほしい。読み終わるころには、月曜の商談が少し楽しみになっているはずだ。

