コロナ禍のあの数年を、小説で読み返すことになるとは思っていませんでした。瀬尾まいこさんの『私たちの世代は』です。
休校、行事の中止、マスク越しの会話。当たり前だった毎日が、ある日から一斉に取り上げられた時期を、当時小学生だった子どもの側から描いた物語です。しんどい話になりそうなものですが、読み終えたあとに残ったのは、まったく逆の感覚でした。
この記事では結末に触れずに、どんな話で、読んでどう感じたかを書きます。

『私たちの世代は』はどんな話?(ネタバレなし)
主人公は、冴と心晴という2人です。
感染症の流行で小学校が休校になり、不自由を強いられた子ども時代と、大人になってからあのときの想いに気づく現在という、二つの時間軸で物語は進みます。人と関わることそのものが難しかった「マスク世代」の子どもたちの悩みと成長、そして彼女たちを見守る大人たちの優しさが、交互に重ねられていきます。
文藝春秋は本作を「コロナ禍で多感な時期を過ごした子どもたちへのエール」と紹介しています。作中の「明日が怖いものではなく楽しみになったのは、あの日からだよ」という言葉が引かれていて、この一文が本の性格をよく表していると思います。
事件が起きるわけでも、大きな仕掛けがあるわけでもありません。人と人のあいだで起きる、小さな出来事の積み重ねだけで進む小説です。
著者・瀬尾まいこについて
瀬尾まいこさんは、2019年に『そして、バトンは渡された』(文藝春秋)で本屋大賞を受賞した作家です。血のつながらない親のあいだを渡されていく少女の話で、映画化もされたので、タイトルだけは知っているという方も多いと思います。
あの作品を読んだことがある方なら、『私たちの世代は』の手ざわりも想像しやすいはずです。しんどい状況を書いているのに、読後に悪意が残らない。人の善意のほうを信じて書く作家だと思います。
逆に言えば、劇的な展開や強い毒を期待すると物足りないかもしれません。この本は、そういう方向の面白さを狙っていません。
二つの時間軸で読む「あの数年」
この小説の作りでうまいと思ったのは、コロナ禍の渦中だけを描いていないところです。
休校になった小学生時代と、大人になった現在。この2つが交互に置かれることで、「あのときは何だったのか」を、登場人物と一緒に後から検算していくことになります。渦中では意味がわからなかった出来事に、時間が経ってから名前がつく。二つの時間軸は、そのための仕掛けなのだと思います。
単行本が出たのは2023年7月、文庫になったのが2026年2月です。刊行当時に読むのと、いま読むのとでは、受け取り方が少し変わる本だとも感じました。マスクが外れ、学校行事も戻り、あの時期を「終わったこと」として眺められるようになったいまのほうが、この構造は効くはずです。
『そして、バトンは渡された』との違い
瀬尾まいこさんの本を1冊も読んだことがない方は、まず『そして、バトンは渡された』の名前で見当をつけると思います。あちらとの違いを整理しておきます。
『そして、バトンは渡された』は、血のつながらない親のあいだを渡されていく少女の話で、2019年に本屋大賞を受賞しました。特殊な家庭環境という、個人の側の事情から始まる物語です。
対して『私たちの世代は』は、全員に同時に降ってきた出来事が出発点になっています。感染症の流行という、誰のせいでもない、誰も避けられなかった状況です。ここが大きく違います。
主人公だけが抱える事情ではなく、読者もまったく同じものを経験している。だから読んでいるあいだ、物語の登場人物と自分の記憶が何度も重なります。小説を読みながら自分の3年間を思い出す、という体験は、この題材ならではだと思いました。
書き方の温度は共通しています。しんどい状況を書いても、人の悪意のほうへは向かわない。そこが好きで瀬尾さんを読んでいる方なら、安心して手に取れます。
タイトルの「私たちの世代は」が指すもの
読み終えてから、タイトルの言葉が効いてきました。
「私たちの世代は」——これは、あとから自分たちを名づける言い方です。渦中にいるあいだは、自分がどんな世代なのかを語る余裕はありません。休校も、行事の中止も、マスクも、ただ目の前の出来事として通り過ぎていくだけです。
それを「私たちの世代は」と主語にして語れるようになるのは、時間が経って、外から自分たちを眺められるようになってからです。この小説が過去と現在を行き来する形をとっているのは、その視点を手に入れるまでを描くためなのだと思います。
文藝春秋が引いている「明日が怖いものではなく楽しみになったのは、あの日からだよ」という作中の言葉も、過去形で振り返っているからこそ言えるものです。渦中では絶対に出てこない一文だと思います。
読んだ感想①: 会えないなかで生まれるつながり
面白かったのは、対面で会えない状況のなかで、それでも人と人がつながっていくところでした。
あの時期、私たちは「会う」という手段をほとんど取り上げられていました。それでも関係は生まれるし、続くし、変わっていく。制限された条件のなかでこそ立ち上がってくるつながりが描かれていて、読みながら何度も、あの頃の自分の生活を思い返しました。
派手な展開で引っぱるのではなく、関係が少しずつ変わっていく様子だけで最後まで読ませるタイプの小説です。それでもページが進むのは、人と人のやりとりそのものが面白いからだと思います。
読んだ感想②: 読み終えて残るもの
読み終えたあと残ったのは、人との出会いやつながりを、あらためて大切にしたくなる感覚です。
しんどい時期を扱った小説ではあるのですが、後味は重くありません。誰かを責める話でもありません。あの状況のなかで人がどう手を伸ばし合ったかを書いた本なので、残るのは苦さではなく温かさのほうでした。
当時つらかった記憶がある方ほど、読んで救われる部分があるのではないかと思います。「あの数年は空白だった」と感じている人に、空白ではなかったと言ってくれる本です。
よくある質問(購入前に気になるところ)
Q. コロナ禍の話は、読んでいてしんどくなりませんか? A. 当時の不自由さは描かれますが、誰かを責めたり、恐怖をあおったりする書き方ではありません。読後感は温かいほうです。ただ、あの時期の記憶そのものを避けたい方は、無理に今読まなくていいと思います。
Q. どれくらいのボリューム? A. 単行本280ページ、文庫288ページです。文章は平易なので、まとまった時間が取れなくても読み進められます。
Q. 子どもや中高生が読んでも大丈夫? A. 暴力的な描写や性的な描写で引っかかるところはありません。当時の小学生が主人公なので、同世代だった子ども自身が読んでも入りやすい作品だと思います。
Q. 『そして、バトンは渡された』を先に読むべき? A. つながりのある話ではないので、どちらから読んでも問題ありません。
「マスク世代」という呼び方について
文藝春秋の紹介文には、「人と関わるのが難しかった『マスク世代』の子どもたち」という言い方が出てきます。
この呼び方には、正直なところ、少し引っかかるところもあります。外から名づけられた言葉だからです。当事者が自分で選んだ呼び名ではなく、大人が後から便利に使っている面がある。
ただ、この小説を読むと、その言葉の中身が具体的な出来事に置き換わっていきます。給食を黙って食べること、行事がなくなること、友達の顔の下半分を長いあいだ見ていないこと。ひとまとめの呼び名でしか語られてこなかったものが、個別の場面として立ち上がってきます。名づけられた側から見たらどうだったのかを書いた本、と言ってもいいと思います。
当時、小中学生の子どもが身近にいた方——親でも、先生でも、親戚でも——は、自分が見ていた側から、見られていた側へ視点を移すきっかけになるはずです。
読んだあと、行動が少し変わる本
読書には、知識が増える読書と、行動が少し変わる読書があります。この本は後者に近いと思います。
あの数年で疎遠になったまま、予定が流れて、そのままになってしまった関係は誰にでもあるはずです。この小説は、そうした距離をあらためて意識させます。そして、距離ができたこと自体は誰のせいでもないという前提に立たせてくれます。だから、久しぶりに誰かへ連絡してみようか、という気持ちのほうへ向かいます。
「読んで良かった」で終わらず、読んだあとの行動が少し変わる。人とのつながりを扱った小説としては、いちばん良い効き方だと思いました。
こんな人におすすめ / 合わないかもしれない人
向いていると思う人
- 静かな読み心地の小説を探している人
- コロナ禍の数年間を、誰かに言葉にしてもらいたい人
- 当時、小中学生だった子どもが身近にいる人(親・先生・親戚)
- 読後に前を向きたい人
合わないかもしれない人
- コロナ禍の話題そのものを、まだ避けたい人
- 事件や大きな仕掛けで引っぱってほしい人
- 明確な結論や教訓が欲しい人(この本はそこまで押しつけてきません)
この本と続けて読んだのが櫻田智也さんの『失われた貌』感想レビューでした。重い警察ミステリのあとにこの静かな小説を読むと、どちらも「失われたものをどう引き受けるか」の話だと気づいて、読み比べとしておもしろい組み合わせになります。
同じ著者の入り口としては、やはり『そして、バトンは渡された』が読みやすいと思います。当ブログの他の読書記事では、静かな読み口とは対照的に仕掛けで楽しませる『探偵小石は恋しない』感想レビュー、価値観を少し揺らしてくる『イン・ザ・メガチャーチ』感想レビュー、小説の顔をしたビジネス書「殺し屋の営業術」も紹介しています。
まとめ|単行本と文庫、どちらを買う?
- 著者: 瀬尾まいこ(2019年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞)
- 単行本: 文藝春秋 / 2023年7月24日発売 / 280ページ / 1,870円(税込)
- 文庫: 文春文庫 / 2026年2月4日発売 / 288ページ / 792円(税込)
すでに文庫が出ているので、いまから買うなら文庫で十分です。単行本の半額以下で、持ち歩いて少しずつ読むのにも向いています。
失われた日常の話でありながら、読み終えると人に会いたくなる。そういう不思議な一冊でした。あの数年を通過したすべての人に、どこか刺さる部分があると思います。


